公務員の僕がうつ病になって気付いたこと

こんにちは。オーヤケです。

過去記事のとおり、僕はうつになり、そして寛解しました。

うつになったときはそれはもうしんどくて、苦しくて、毎日生きることが辛かった。

だけど、うつになって気付いたことがあります。うつにならなければ多分一生気づけなかったことがあります。

今回はそのことについて書いていきたいと思います。

 

理想像という型にハマっていた僕。……ハマらなきゃいけないと思っていた僕。

 

僕も例に漏れず、公務員になる人って根は真面目なんですよね。

だから親や先生の言うことをよく聞き、通知表にも「いい子」の太鼓判を押されてきたんじゃないでしょうか。

でも、そういう「いい子」っていうのは、一種の画一的な理想像なんですよね。

「こうあるべき姿」

自分が本来なりたかった姿じゃなくて、社会人としてこうあるべき、公務員としてこうあるべき、というがちがちに凝り固まった理想像の型にはまろうと必死になっていました。

自分だけではなく、他人にもその型を当てはめようとしていました。

だから、自分がその型にはまらなかったときは自分を責めに責めまくるし、他人がいい加減に生きていようなら「なんでこの人はこんなにできないんだろう、ムキー!」ってなっていました。

上の話はちょっと抽象的なので、例を挙げるとすると、マナー。

僕はマナー本とかをよく読んでいて、社会人として恥ずかしくないように振舞わなければと思っていました。

だから、電車とかでマナー違反をしている人を見かけると、その人のことが許せなくて仕方がなかった。

「僕はちゃんとマナーを守っているのに、なんだこの人は。ありえない!」

食事のマナーなんかにもうるさく、使うフォークとナイフを間違えている人なんか見たら、「この人はこの歳まで何して生きていたんだろう?」と本気で思うほど、型にはまってハマりまくっていました。

 

そんな僕がうつになった原因の一つに、前任者がいい加減だったという要因があります。

過去の決裁を見直すとまあでるわでるわ、ミスの山。

引き継ぎの際に知らされていなかった未解決の懸案事項(しかも1年近く放置されていた)。

このひと(前任者)は一体今まで何をしていたんだろうと思わざるを得ないほどのずさんな事務処理。というか、処理すらできていない。

「僕は真面目に仕事をしているのに、なんでこの人はできていないんだろう」

(しかもそれでいて、なんで僕より給料が上なんだろう……!)

結局そのずさんな仕事を挽回しようと綺麗にしようと頑張って、無理をして、潰れてしまったわけですが。

自分が型にハマれなくなったときに始まる地獄

さて、うつ病になってしまった僕ですが、毎日家の中でうずくまって、職場からの電話にも出られなくて、仕事なんてできないから課の人たちに大迷惑をかけてしまっている……というのは、「社会人として、公務員としてあるべき姿」からもっともかけ離れた状態になってしまいました。

型にはまることこそ至高。それこそ美学!で生きていた僕にとって、それは許しがたい現実でした。

そんな現実は認めたくありませんでした。

なので自分を否定し始めます。自分がそういう状態になっていることを認めない。

「本当は働けるのに僕は甘えているんだ」

「体が動かないのも甘え」「涙だって構って欲しいから出るんだ」「ただの仮病」

「甘えてしまうのは僕の精神力が弱いからだ」

「みんな普通にできているのに僕だけができていない。僕は欠陥人間だ」

「こんなダメ人間、生きていたってしょうがない」

「現に今休んでみんなに迷惑をかけている。だったらいっそ死んで欠員補充された方がみんな喜ぶ」

今になって振り返ると、そういう思考回路になっているときはいくら体が休息を得て元気になっていても、メンタルがちっとも良くなっていないので全然治っていませんでした。

僕の周りにも、体が元気になったからといって復職をした職員がいますが、またすぐに休職してしまうなんてこともありました。

考え方をガラッと変えないと、うつの寛解は難しいと思います。

自由形で生きていく。

じゃあどうして僕がうつを寛解したのかと言うと、

  • 「あるべき」思想を捨てる
  • 多様性を受け入れる

この二つが重要だと思います。

がちがちの型人間だった僕は、型にハマるのをやめました。

僕はうつ病になった。仕事を休んだ。みんなにも迷惑をかけた。……これはどうあがいても変えられない現実ですよね。それを僕がどうこう考えても変えることなんてできない。だったら、その事実を受け入れるしかない。

僕はうつ病になった。仕事を休んだ。みんなにも迷惑をかけた。……問題はそのあと。僕がその事実をどう受け止めるか。

今までの僕は、「あるべき姿」から最も遠いことばかりに着目して、僕は社会人失格だという思考パターンに入っていました。

でもそもそも、「あるべき姿」ってなんだ?誰が決めた?誰のためにあるもの?

そう考えたとき、気付いたのです。「あるべき姿」は僕が考え出したしがらみだ。

僕が勝手にその型にとらわれて、勝手に首を絞めていた。(実際に物理的にも首を絞めていた)

僕は自分自身で人生を生きづらいものにしていたんだ。

型にはまっていなくたっていいんだ。

僕はうつ病になった、仕事を休んだ。みんなに迷惑をかけた。……でも、それでもいいんだ。仕方がないんだ。

その事実を屈折することなく受け止めることができると、心が軽くなった気がしました。

自分自身で自分のことを赦せた、そんな気持ち。

そして、僕だけじゃなく他の人に対しても、その赦しは波及していきました。

電車内でマナーを守らない人がいた。……確かに迷惑だけど、でも別にいいじゃないか。

食事の作法を知らない人がいた。……でも、その人が美味しく食べているなら、それでいいじゃないか。

仕事が全然できない人がいた。……得手不得手があるわけだし、仕事なんてその人を測る側面でしかない。その人なりに頑張っていたのかもしれない。だから、別にいいじゃないか。

僕は今まで「あるべき姿」であるべき、と思っていたのですが、もしみんながみんな画一的なその「あるべき姿」になってしまったら、それはもうロボットと変わらない。きっとそれはもう僕が僕じゃなくなっているし、あなたはきっとあなたじゃない。

世の中にはいろんな人がいます。いろんな人がいて、いろんな性格をしています。そして、いろんな人がいて良いのだと認められています。その多様性を受け入れてみると、気持ちが楽になりました。

僕は僕でいて良いし、あなたはあなたのままでいて良いのです。

「お人好しカメレオン」という曲を聞いて欲しい。

UNISON SQUARE GARDENのCIDER ROADというアルバムの中に、お人好しカメレオンと言う曲があります。

うつになったときにレンタル屋で借りたこのアルバムですが、良い曲づくしで、その中でもこの曲が一番胸に響きました。

歌詞を一部抜粋すると……

みんな同じこと喋るから 真実みたいに聞こえたりして

心の切り売りにニコニコして 正義の仲間入りして

片手間ブックマークして それは本当に答えなのか、と君は喋る

だから今その声を捨てないで 喧騒の街 君を見つけた

お人好しカメレオンじゃないだろ 君だけのために君はいるんだよ

え、これ僕のことじゃん?????????めっちゃ僕じゃん??????????!???

本心を隠して、自分を殺して、周りに馴染めるように合わせているけれど、果たしてそれで良いの?という曲です。

僕も自分の本心を隠して、あるべき姿という型にハマろうとしていた。みんなそうしているから、それが正しいのだと思っていた。

でも、実際はそうじゃなかった。

僕の人生なんだから、僕が自由に生きて良いんだ。

 

多分僕はうつにならなかったら、ずっとこんな生き方をしていたんだろうな、と思います。

でも、こんな生き方は苦しい。息ができないからきっと長くは続かなかったでしょうから、遅かれ早かれうつになっていたのかもしれません。

僕はうつになって、すごくしんどい思いをして、できればもう二度とあんな思いはごめんだ!二度と罹るか!と思いますが、こういう生き方じゃ生きていけないんだということに気づけて、本当に良かったと思います。

今あなたがうつで苦しんでいるのであれば、そのことに気づかせるための人生のポイントに立っているのかもしれません。

自分の生き方に疑問を投げかけるために、今の時期はあるのかもしれません。

あなたがあなたらしく、人生を歩めますように。

 

 

さて、明日も公僕頑張りますか。

 

 

1 個のコメント

  • 初めまして!ブログ拝見させていただきました。うつになられたときはつらかったですね…
    わたしもうつ状態で仕事をやめました…

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です