うつ病になった公務員が考える「死にたい」のレベル

オーヤケです。

自慢じゃないですが、僕は過去何回か自殺未遂をしたことがあります。

鬱の時は「死にたい」「消えて無くなりたい」なんてことを毎日のように考えていました。

今回はそんな「死にたい」の気持ちをレベルごとに紹介していきたいと思います。

レベル1 漫然と死にたい。

「あー、死にたい」なんて、口に出してることありますよね。

そんな日が続くと、慢性的に「死にたい」思考になっちゃいますよね。

でもそこまで本気度はない。口癖のような言葉の軽さ。

女の子が「痩せたーい」っていうのと同じで、自分で現状を変えたり何かを実行に移すわけじゃないけど、何かのラッキーでそうならないかなっていう、望みの薄い期待みたいな。

僕は鬱になる数年前からそんな思考がこびりついていました。

今思えば鬱の始まりだったのかもしれません。

でも多分、このレベルの人は日本中にたくさんいるんだろうな。

レベル2 仕事に行きたくないから死にたい。

僕が鬱になる数ヶ月前からはこの思考になりました。

  • 仕事に行きたくないから死にたい
  • 仕事に行きたくないから怪我したい

全然程度が違いますが、この二つが同じくらいの認識になっていました。

とにかく現状から逃げたい、という一心。

レベル1の時よりも死ぬことへのハードルがぐんと下がっています。

「ああ、ここから飛び降りたら仕事行かなくていいかな」

「あの車に轢かれたら仕事行かなくていいかな」

って、目に映る日常の中で死に方を探していました。

だからもし、ふと、頭や体や心のエラーが出てしまって、

危険の中に身を投げ出してしまったら、

心の底から強く「死にたくてたまらないんだ!」って思ってなくても、

うっかり死んでしまったということが起こりうるレベルだと思うのです。

このレベルになると、なかなか正常な判断をするのも難しくなってきているとは思いますが、

どうか、死ぬよりも前に休職という手段をとってほしいと思います。

レベル3 みんなに申し訳なくて死にたい。

これは鬱病になった後のレベルです。

「みんなが働いているのに、僕は家で休んでいて、なんて申し訳ないんだ」

「僕の仕事を誰かが代わりにやらなければならないんだ。申し訳ない」

「早く復帰しなければと思うが体が言うことを聞かない。不甲斐ない」

「ホワイトな公務員で鬱になるなんて情けない」

のような自責の念に囚われた後、

「どうやったらみんなに許してもらえるのか。

そうか、死んだら許してもらえるかもしれない。

死ななくちゃ」

という結論に至ってしまうのです。

この思考回路に取り憑かれてしまうと、真夜中であろうとなかろうと

手当たり次第に紐状のものをドアノブとかクローゼットに引っ掛けては

首を吊って臨死体験をしないと気がおさまりませんでした。

家族に「もう二度としないで」と言われても、自責の念がなくならない限り

何度だって繰り返してしまいます。

このレベルになると、完全に「自分=悪い」ということが定着してしまっているので、

  • 悪いことをしたら→許されなければならない
  • 悪いものは→排除しなければならない

この二つが連立方程式みたいに解けてしまったので、

死ななければならないんだという考えに至ったのかなあと思います。

僕は今でもたまにこの考え方が蘇ってしまうことがあるんですが、

その時に考えるんです。

許されたい→誰に?

みんなに→みんなって誰だ?

僕の死を心から望む人が果たしてこの世の中に何人いるだろうか。

普通に生きていて、心の底から「死ねえええ」って思うことってそうそうないですよね。

一時的に「死ね」って思っちゃうことがあっても、何日も何ヶ月もずっと「死ね」って念じ続けることってそうそうないですよね。

多分、大多数の人、つまりここでいう「みんな」も一緒じゃないんでしょうか。

あなたが死ぬことを「みんな」は望んでいませんし

かといってあなたに生きていてほしいと「みんな」は思いません。

死んだら「みんな」に許されるなんて、ただの幻想にしか過ぎないんですよね。

じゃ、明日も公僕頑張りますか。

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